これは、楽器にまつわる忘れたくない話。
忘れることは、きっとないとは思うのだけど書く。
書きたいと思ったからしょうがない、まぁ番外編という感じで読んで下さい。
赤サドウスキーに出会うまでには、多くの楽器屋を巡る必要があった。
仮に、最初の店で同じ楽器に出会ったとしても、恐らく購入には至らなかったと思う。
多くの楽器に触れた経験があったから、赤サドウスキーの良さを認めることができた。
電車移動、それは東京という場所においては当たり前の事。
福島の田舎から出てきたばかりの者にとって、それは低くないハードルだった。
当時の私は、東京のすべてに面食らっていたといっていい。
そんな私を助けてくれたのがQという男である。
ライブを見るのが好きなQは電車移動には慣れていた。
すぐに誰とでも仲良くなる、才能的なフレンドリーさを持った男だった。
私とは真逆の個性だったように思う。
今にして思うと、なぜQと仲良くなれたのか不思議な気さえする。
当初は、地方出身者が持つ気休めの連帯感からのことだったのかもしれない。
赤いサドウスキーと出会うまで、常にQが傍にいた。
Qがいなければ、私がそのベースを手に入れることはなかっただろう。
数年後。
Qが自らの人生を終わらせたのは3月のある日のことだった。
世の中を包むのは、新しい季節に向かっていく一種の高揚感。
あの頃のQには、それがどう映っていたのだろうか。
3月になると、赤いベースを見つめながらそんなことを考える自分がいるのだ。